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自分史管理人さんが最近登録した自分史(経年順)

  • いちばん古い記憶ってなんですか?(1981年3月20日|3歳)
    自分史管理人

    ◆こんにちは!自分史.JPの管理人です◆

    みなさんが覚えている一番古い記憶ってなんですか?私は2歳のときのお墓参りです。

    母方のお墓が、坂の上にありまして。
    お墓参りを終えた後、坂道を走って下りるのが楽しくて、「危ないよー、止まれへんで」という母の声も聞かずに駆け降りてしまった私は、案の定途中で止まれずに思いっきり転んでしまいました。

    「坂道で走ると止まれないんだ!」と当時の自分がびっくりしたことを覚えています。

    膝をすりむいてわんわん泣き、そのときの傷が今もちょっぴり残っていすのですが、この傷のおかげで最古の記憶として残ったように思います。
    現在もこのお墓にはちょくちょく行きます。手押しポンプ付きの井戸のある、静かなお墓で、私の大好きな場所のひとつです。

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    更新日:2009年1月21日コメントする(0)

  • しぬかとおもった(1981年8月14日|3歳)
    自分史管理人

    ◆こんにちは!自分史.JPの管理人です◆
    しにかけたおはなし。
    父の趣味により、お盆となればキャンプが恒例行事でした。兄弟、いとこたちと叔父伯母も交えて、大人数でにぎやかに。これは奈良の十津川だと思います。
    にこやかに遊んでますが、このあとしのびよる魔の手(=父)により、ボートがひっくり返されます!冗談のつもりだったそうですが、なんてことするの・・・
    川岸にいた母の話によると、「そのまま見事に50メートルくらい下流に流されていってん。危なかったわー」とのこと。ちゃんと見ててよ。
    写真の右端に移っている叔父がダッシュで追いついてくれたおかげで存命です。子供の川遊びは危険ですよ、みなさん。
    よほど怖い思いをしたらしく、「もうおとーさんとはくちきけへん」とキャンプ中すねていたそうです。あまり覚えてはいませんが、大きくなってからも水泳は得意ではありません。
    誰しも一度くらい九死に一生、という経験があるかもしれませんね。
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    更新日:2009年1月21日コメントする(2)

  • はじめてのおるすばん(1983年8月1日|5歳)
    自分史管理人

    ◆こんにちは!自分史.JPの管理人です◆

    4歳頃のこと。「ちょっとおかあさん買い物いってくるから、二人で待っといて。」兄とわたしに声をかけ、母が出かける気配。


    「えー!いややー!」「いっしょにいく!!」「ちょっと買い忘れたから、すぐに帰ってくるから待ってて。な?」

    それまでは留守番をしたことがなかったので、最初は駄々をこねました。
    が、困った様子の母を見て少し背伸びをしたくなったわたし。「いいよ」と思わず言ってしまいます。


    しかし、兄は引き下がらず、結局、母と兄が買い物、わたしが一人でお留守番という事態に。
    「えー!おにいちゃんずるいー!!」と心の中で叫んだものの、一度言い出した手前一緒にいくとも言えず…笑顔で二人を見送ることに。


    わずか徒歩5分ほどの小さなスーパー、かかった時間は20分そこらだったはずです。それでもドアをしめて、鍵をかけて、一人で家にいる間ドキドキがとまりませんでした。


    心細くなってうさぎのぬいぐるみを引っ張り出して、何度も家に出入りして、やっぱり一緒にいけば良かったのに、と半泣き状態でした。


    後で聞いた母の話によると、帰ってきたときにはひょうひょうとした様子で出迎えたらしいです。当時の自分の精一杯の見栄だったようです。泣けばよかったのにね。
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    更新日:2009年2月17日コメントする(0)

  • ようちえんでくりひろいにいったよ!(1983年10月5日|5歳)
    自分史管理人

    ◆こんにちは!自分史.JPの管理人です◆
    いも掘りとか、みかん狩りとか、潮干狩りとか、収穫のイベントが大好きです!宝探しに通じる楽しさがありますね。
    私の通っていた幼稚園では、秋に栗ひろいがありました。とある山の一角で、ビニール袋を一人一枚ずつ持たされます。先生が「はい、じゃあみんながんばって拾いましょう!」
    『はーーーい!!』ちょこまか拾ってあっという間にビニール袋がいっぱいになり、その日は栗ご飯になったかと記憶しています。
    このとき、忘れられないのが栗のイガイガがなかったこと。地面には剥き出しの栗がてんてんと落ちていました。
    小さな子供たちがイガで怪我をしないようにという配慮で、あらかじめイガを外したものを撒いてくれていたんですね。今思えばおかしな話です。過保護ってものですよね。
    おかげさまで、栗はそのまま地面に落ちているものだ信じて育つことに…
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    更新日:2009年1月23日コメントする(0)

  • しおひがり(1984年5月5日|6歳)
    自分史管理人

    ◆こんにちは!自分史.JPの管理人です◆

    まだ小さい頃はよく潮干狩りにつれてもらいました。遊園地とか、ファミリーレストランとかよりも、あまりお金のかからない娯楽が多かったですね^^

    潮干狩りが宝探しのような感覚で、大好きです。
    いくつのときか忘れましたが、大阪の二色の浜に潮干狩りに行きました。

    その前日に張り切りすぎたのか、私は風邪をひいてしまいました。
    それでもどうしても行きたかったので「絶対いくーーー!」といってつれてもらいました。
    兄弟もいとこもみんな行くのにひとりで留守番なんてごめんです。

    到着後、それぞれに熊手やバケツをもって宝探しへ。
    「管理人ちゃんは風邪ひいてるから、おひざまで。」という母の司令を守り、
    おとなしく波の引いた浜をほじくり返してあさりをとっていました。

    が。
    その日はとても暖かい、むしろ暑い一日でした。兄弟たちはは服のままで海に入って海水浴状態。
    いいなー。私も泳ぎたい。でもおかあさんとの約束はまもらなあかんしなあ。
    しゃがんでワンピースの裾をぬらしながらも「おひざまで」の約束を律儀にまもっていました。
    わたしはルールに逆らえないこどもなのです。

    とはいえ、その日はさすがに我慢できませんでした。大きな波に何度かあううちに、スカートも腰までびっしょり。もうどうでもよくなって胸までつかって海で遊び、おかあさんには「なにしてんの~!」としっかり怒られてしまいました。怒られたから覚えているような気がします。

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    更新日:2009年3月30日コメントする(0)

  • 字をならう(1985年5月1日|7歳)
    自分史管理人

    ◆こんにちは!自分史.JPの管理人です◆
    小学校にあがったと同時に、親戚のおねえちゃんのまねっこをして近所の習字教室へ通い始めました。週に1回、真面目に通ってましたよ。

    硬筆、いわゆる鉛筆の練習が好きでした。五文字の単語が基本で「シクラメン」とか「こいのぼり」とかいろいろ書きましたね。

    「右上がりの方がいいんだよ」と先生に教えてもらった私は一生懸命右上がりを身につけて、+とか-、=まで全部右上がりで書いていました。
    あんまり癖がひどいことに気付いて、最近意識してやっと直りつつあります。

    3年生からは毛筆を習うことになるのですが、毛筆がどうしてもやりたくなくて、ここであっさりやめてしまいました。もったいない。あのまま続けてたら、せめて人前でも恥ずかしくない字が書けたものを。

    いろいろと限界を感じさせる画像はマウスで書きました。右上がりは直ってますね。
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    更新日:2009年2月2日コメントする(0)

  • ちゅうしゃがきらいになったわけ(1986年5月10日|8歳)
    自分史管理人

    ◆こんにちは!自分史.JPの管理人です◆

    どうにもこうにも注射が苦手。できることなら避けていきたい。できることなら今後の人生で注射なんてもうごめんこうむりたいのです。

    風邪をひいても点滴は丁重にお断り。健康診断でも血液検査のないコースをまよわず選びます。注射の画像をさがしていてすこしテンションがさがりました。

    それもこれも、あの日の注射のせいなんだ。きっとそうなんだ。

    小学校2年のとき、日本脳炎の注射。いつものように体育館で注射をうけて、教室にもどりました。それまでは割りと普通だったのに、体調が悪かったのか、その日に限って貧血のような症状に。
    生あくびがとまらないし、あたまは痛いし、吐き気はするし・・・しんどうよう。
    授業中もずっと机に突っ伏して、ぐったりしてました。

    結局たいしたことはなかったのですが、その後注射そのものがすっかりトラウマになりました。小学校5年の同じ日本脳炎の注射で決定的なものになってからは、ツベルクリンもインフルエンザも採血も、とにかく注射全般で貧血になるという情けない事態に・・・
    以後、なるべく注射にかかわらずに生きています。

    「赤ちゃん生んで、おかあちゃんになったら変わるよ」と子供のころのお医者さんに言われましたが、ほんとかなあ。
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    更新日:2009年2月26日コメントする(2)

  • アタックナンバーワン(1992年4月8日|14歳)
    自分史管理人

    ◆こんにちは!自分史.JPの管理人です◆
    中学時代は女子バレー部でした。今思い出しても、くるしくったって~♪かなしくったって~♪のメロディが聞こえてきそうです。
    とにかく先生がめちゃくちゃ怖かったです。ボールやスリッパ、シューズを投げてくるのは当たり前。ときにはパイプ椅子がとんで来たり、話を聞いている最中に蹴り飛ばされたり。まさにアタックナンバーワンの世界!(見たことないですが…)
    当時はそれで当たり前だと思っていたし、ミスを叱られているのは自分たちの責任、先生は私たちのために叱ってくださるのだ、と部員みんなでいっしょうけんめい悩んで、教官室に謝りにいったりもいっぱいしましたね。いやー若かったです。
    あまりのスパルタっぷりに入部当初20名あまりいた同級生は1人減り、2人減り…わたしも最後の5名くらいになったところで辞めてしまいました。人数ぎりぎりになってやっと試合に出してもらえるところまでいったのですが、根性が足りませんでしたね(^^;
    卒業後、社会人になって今だに合宿風景などが夢に出てくる始末です。トラウマ?
    それでも、『感謝の気持ち』をとても大切にしている先生で、両親や恩師への感謝を叩き込んでくれたことには本当に感謝しています。そろそろ教鞭をおかれるころだと思いますが、お元気でいらっしゃるのでしょうか。
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    更新日:2009年3月10日コメントする(0)

  • オリンピックの想い出【1992バルセロナ】(1992年7月27日|14歳)
    自分史管理人

    ◆こんにちは!自分史.JPの管理人です◆
    オリンピック、と言われて記憶にあるのはバルセロナ五輪あたりから。
    なんといっても水泳の女子200メートル平泳ぎ、岩崎恭子選手の金メダルが印象深し!
    当時14歳は自分と同じ歳で、学校でも盛り上がってました。

    同級生で、本格的に水泳をやってた男の子が岩崎恭子と同じプールで練習したことをやたら自慢してたことも印象的。
    報道のカメラがきていたので、自分も映るように近くを泳いだらしいです。その甲斐あってニュース映像にちらっとでてました。
    。「いままで生きてきた中で一番しあわせです」は名言ながら、「人生を語るには14は若いやろー」って友達と言ってました。
    同じ歳なのにこの差はなんなのでしょう・・・

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    更新日:2009年1月21日コメントする(0)

  • 初めての携帯電話(1998年10月10日|20歳)
    自分史管理人

    ◆こんにちは!自分史.JPの管理人です◆
    他の方の記事をみて、初めての携帯の画像を探したらあんまり懐かしかったので、私も便乗させていただきます^^

    「携帯なんて必要ないわー」と言い続けていたのですが、周囲の友人が全員持ち出したのでようやく買うことに。

    ほんとはT-01が欲しかったのですが、兄弟とかぶるのがいやでDN01を選択。
    もちろん白黒画面、単和音、カメラなんてあるはずもなく、できることと言えば通話とメールのみでしたが、固定電話世代にとっては夢のアイテム。

    貧しい学生だったので、メール1通10円(当時)に収めるために、がんばって文字数を削っていたのもいい想い出です。ロングメールでも128文字、短いのはたしか40文字制限に思いを込めてました。

    この携帯は「まめぞう」という今はなきキャラクターがいて、七夕やお正月にはそれっぽい動きをしてくれて、愛着がありました。
    最初の携帯は2年半くらい使ったかな。今のは4代目です。
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    更新日:2009年2月9日コメントする(2)

  • アメリカのミュージカル(2000年11月10日|22歳)
    自分史管理人

    ◆こんにちは!自分史.JPの管理人です◆
    人生初の海外旅行でアメリカにいきました。年月がうろ覚えです(^^;
    シカゴで、マンマミーア!というミュージカルを観に行きました。今日本でもやってますね。
    日本人5名でいったのですが、座席が満席のため、見事にバラバラの座席になりました。当然わからない英語、どんどん進むストーリー。突然歌いだす役者さんたち…と戸惑いだらけのミュージカル。
    周囲の人が笑っているジョークもさっぱりわからず、なかなかに孤独な時間でしたが、隣の席の恰幅のよいおじさんがフレンドリーに話しかけてきてくれて嬉しかったです。
    やっぱり英語はさっぱりでしたが「座席が窮屈だな!」「はい、わたしもそう思います。」「人で埋まっているからね」「満席ですね。これは人気があるミュージカルなんですね。」「僕もきみのように小さければよかったんだがhahahaha」「あははは」というような会話が成り立っていたと自分では信じています。
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    更新日:2009年1月26日コメントする(0)

  • 自分史.JPβ版オープン(2008年10月15日|30歳)
    自分史管理人

    ◆こんにちは!自分史.JPの管理人です◆
    この日、自分史.JPβ版がオープンしました。

    たくさんの人が自分史を通じて想い出を語りあったり、新たな出会いが見つかったり、自分の歴史を再発見したり・・・

    そんなきっかけとなる楽しいコミュニティサイトを目指していきます。

    「こんなところが使いづらい」「こういった機能がほしいなあ」利用される皆様の目線からのご意見をいつでもお待ちしております。

    これから、私もみなさまと一緒に自分史を綴ってまいります。
    どうぞよろしくお願い申し上げます。
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    いつも自分史.JPをご利用いただきましてありがとうございます。

    ご利用のみなさんが、自分史を綴り、読み、繋がることができるよう、より快適なサイトづくりを目指してまいります。

    まだまだ発展途上のサイトですので、ご意見、ご要望お気軽にメッセージをいただければ幸いです。

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    更新日:2009年1月15日コメントする(0)