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オンリーロンリーさんが最近登録した自分史(経年順)

  • 親の親(1978年7月30日|10歳)


    親の親

    つまり祖父や祖母ということなる。

    母方の祖父母は知っている。

    中学生になった頃に続けて二人共亡くなった。

    祖父は訪ねる度に、酒の瓶とグラスを持ち、うなるような声で話していた。

    挨拶はしたが、会話を交わしたという記憶はない。

    祖母は優しい感じだった。

    料理も美味しく作っていた。

    母が言う、祖父は昔から飲んだくれで働かず毎日酒を飲んでいたということだ。

    それは合っているだろう。

    が、祖母に関してはあんな人だったとか、聞いた事がない。

    私の母も一見すると顔は穏やかである。が、その裏に隠された感情は恐ろしいの一言だ。

    私の母は料理も下手である。

    いつも何か変なものを食わされていた。

    例えば魚料理だとすると、醤油が焦げたような味付けである。

    不味かった。魚料理は嫌いだった。

    実家を離れて暮らした時も魚を避けるほど。

    それがどこかの弁当やで焼き魚弁当を食べてみたら、とても美味しい。

    定食屋へ行ってもとんかつばかり頼んでいた私が、魚料理があれば頼んでしまうほど魚が好きになった。

    これは、母の料理の腕がそれだけ悪かったということだ。

    誰からそんなでたらめな調理法を学んだんだ?

    祖母は料理が上手だったはず。

    母は祖母の事を話した事が無い。

    どういう人だったのか、本当に聞いた事が一度もない。

    そして母の執念深く、陰湿な面を見ると、もしかしたら祖母も表情から見るような優しい人間ではなかったのかもしれないのだ。

    それは母の妹が二人いるのだが、その二人もどうかしている感じを受ける場合が多々あるのだ。

    なんにせよ、まともな家ではなかったと思うのだ。

    そして、父方の祖母は同居していた。

    その祖母も私が中学生の頃に亡くなった。

    一日中、寝ていて、起きたかと思うとずっと煙草を吹かしていた。

    そして足腰が弱り、老衰で死んでいった。

    問題なのは、父方の祖父である。

    親父の親父なわけであるが、その祖父の話を聞いて覚えている事柄は、

    砂浜に埋められた地雷を踏んで片足が無かった。

    海に潜って漁をしていて機雷で吹き飛んで死んだ。

    という父からの話なのだが、本当かどうか疑っている。

    父親との思い出話をすることが一切無い。

    それどころか、ズボンのチャックがいつも開いていて、性器を出して歩いていた馬鹿者だったという話だ。

    とにかく、私が幼い頃から父方の祖父というのは、「死んだからいない」と言われていた。

    父は30代かそこら・・・いやもしかしたらもっと若い時に父親を無くしたのか、それとも、行方不明になったのか。
    本当に爆弾によって死んだのか。

    父方の親戚連中が盆暮れには大集合していたが、祖父の話をしているのを聞いた事が無い。

    親戚連中が言うのは、

    「あんたたちのお父さんは怖い人だから怒らさせないようにしないといかんよ」

    私の父は、幼い頃から働いていたという。

    学校へも行けずに、毎日の食事にも困っていたという。

    学校へ行く時間があるなら、畑で芋を作っていたという。

    が、ここでも疑問ができる。

    父は離島出身者で、島の周りは当然、海なのだ。

    今と違って魚だっていくらでも捕れただろう。

    本当に食べるものに困るほどだったのか。

    毎日、畑に行かずとも作物はできるはずだ。

    学校に行かなかった理由は何なのだ?

    そんなに学費が必要だった時代でもないはずなのだ。

    そして、怒ると異常なまでに烈火の如く怒る。

    その場合に必ず吐くセリフがある。

    「この野郎殺して捨ててやる」だ。

    私へ対しての殺人未遂行為は、3回もある。

    子供の頃の私がその時に思ったのは、

    大きくなったら、こいつを殺してやる。

    親を殺してやりたくなるほどの出来事があるというのは正常な家庭ではない。

    そして私は思うのだ。

    この親父は、自分の父親を殺したんじゃないのか。

    だから誰も祖父の事を言わないんじゃないのか。

    結果としては、

    父と母は70を前に熟年離婚した。

    離婚するのが遅すぎるくらいに遅い。

    そしてこの親は、私を勝手に作り、私の人生を台無しにした張本人なのだ。

    なおも私の人生の邪魔となっている。

    自分が生を受けたことに感謝をする?

    自分史を書く人間の決まり文句はそうなのだろう。

    それもうまい具合にまとまっていればの話でしかないのだろう。

    私は不幸を売りにする気は無いが、本当に幸せな人生を送ったならば、わざわざ他人へそれを認められたがる行為をしなくても良いのではとしか思わない。

    狭いコミュニティで満足出来ないなんて、不幸そのものだ。





    更新日:2017年3月5日コメントする(0)

  • いじめ(1987年10月10日|19歳)

    社会人1年生。

    ファミリーレストラン企業に高卒で入社。
    その一年目の秋、社内研修があった。
    どこだったかよく覚えていないがかなり山の中にある施設だった。
    部屋はホテル並み。
    学校の家庭科室みたいな部屋があり、そこで調理研修が始まったのだが、調理ビデオを見て講師が説明をした後、グループに分かれ、調理することになった。
    何故なのか分からないが私以外の社員は皆顔見知りらしくよく会話もしていた。
    が、私には一切、口を利かない。
    私が野菜を手に取れば、「それ使う」と言って奪い、自分が包丁でカットし始めた。顔をそいつら同志で合わせてはぼそぼそ喋って笑う。
    研修はこれまでにもあった。
    が、こんな嫌な雰囲気は初めてだ。
    本当に同期なのか?と思う程、顔を知っている者がいない。
    それだけでなく、無視を決め込む。
    私は段々と苛々してきた。
    この野郎を殴りつけてやりたい・・・と思ってきた。
    そして講師が私を見て、「おい、なにやっているんだ?何もしないのか?」と言ってきた時に、まずいと思った。
    ムカつく野郎から包丁を奪い、そこにいた連中を殺してやりたくなったのだ。
    私はその室内から出た。
    部屋に戻り、着替え施設を出ると山道を下って行った。

    その後、私は東京の社員寮に戻らなかった。
    社員寮に居ると上司が来るのだろうと思ったからだ。
    横浜のホテルに2泊して帰った。
    2泊している間、ごちゃごちゃ言われたら辞めてしまえばいいか。
    と考えていた。
    しかし、あの連中の態度にはどうしようもなく腹が立った。
    無視する・・・というのは、いじめなのだという事が世間一般的な解釈になったのは、もっとずっと後になってからだ。
    汚らしい奴らだ。
    何もしない、できない状態にしておいて、他方から責められるように仕向け、反論しようものなら、「別に何もしていませんが」と逃げるのだろう。

    陰湿で汚らしい奴らだった。


    更新日:2016年12月29日コメントする(0)

  • 干支4周の年の瀬(2016年12月28日|48歳)

    干支4周した年の瀬になって確かな事が分かった。

    誰からも受け容れられる事のない人間なのだと。

    よく48年も我慢して生きていられた。

    うすうすは気づいていたが、認めたくない自分が居たのだろう。

    もう誰かに受け容れてもらおうという考えはない。

    これを書き出すのも誰かに理解されたい訳ではない。

    受け容れる者などどこにも存在しない。

    金が絡む時だけ寄ってくる者、己の利益目論んでの者しか私には関わらない。

    いつか自分の思いや願いが届く日が来ると思っていた。

    無い。

    私は大事な事を知っている。

    知りたい者だけが読めばいい。





    更新日:2016年12月28日コメントする(0)

  • 自分史(2016年12月29日|48歳)


    自分史・・・自分の歴史か。

    多くがこれまで生きてきた感謝の意を示すのだろう。

    これまで得てきたもの、関係に喜んでいる人がこんな時には、こんな人達が周りにいて助けてくれましたとか、支えあってこれましたと書くのだろう。
    そして読む人の多くが、それを望むことだろう。

    私は17年前にも書いた。31歳で書いたのだが、それを自分史というものだとは思わなかった。
    読んだ人がそう言ったのだ。
    あれからかなり年月も経った。
    執筆の腕は上がらず公募に出しても何の連絡も無い。
    小説的に描こうにもどうしても自分の考えや思いとかが多く、情景を描いても作り話との融合が出来ない。
    物語というより自分史にしかならない。
    自分史にしかならない理由は、他人に受け容れられた事がないからだろう。
    自分では・・・自分が・・・とか、自分中心みたいになる。
    なら、最初から自分史を書けばいい。

    どこから書こうか・・・

    どう伏せてどう表現しようか・・・

    更新日:2016年12月29日コメントする(0)

  • 安泰の店(2017年2月20日|49歳)


    先日、居酒屋へ出向いた。

    高校時代の同級生が営む店。

    以前は毎月の同級生集まりの飲み会にも参加していたが、同じ話のオンパレードとつまらない自慢話、そして何より私を口が開いても誰も話を聞かない態度に嫌気がさしていかなくなった。

    私の話は聞く耳持たない態度を取っていながら、自分らの会話が続かなくなると、私へ話を振ってくる。

    「何かないの?」
    「おまえも何か言えよ」

    辛うじて話題を出すと、それからヒントを得たのか、「あ!そういえば」
    と、自分の話に持っていく。

    なんだこいつらは。

    そして店から足を遠のけた。

    飲み会の度に誰かが電話で私を呼び出そうとしていた。

    適当に「他に用事がある」「今日は忙しい」
    と逃れていた。

    ある日、ランチをしないか?と二人の友人・・・元同級生が誘ってきた。

    酒が入らないならまだましだなと思い付き合ってみたら・・・

    「どうして飲み会に来ないんだ?」

    と始まった。

    これは何の尋問なんだ?

    「あまり喋らなくてもよ、そこに今まで来ていた人がいなくなるって、おかしいと感じるのさ」

    聞きようによっては嬉しく思われるはずだが、私は、

    分かっているじゃないか。
    そうだよ。喋ることはないさ。喋っても聞く態度の奴はひとりもいないさ。
    そう。喋ることもないのに、その他大勢のつまらない話をうんざりするほど聞かされて、高い飲み代を払うのか。
    馬鹿らしい。

    その二人の言い分を私は黙ってじっくり聞いていた。
    結論はこうだ。

    私の事を心配し、気にかけてランチに誘ったのは表向きの理由。
    本音は、急に来なくなる人間がいたら、まるで自分たちが悪者みたいで気分がよくない。だから、顔出せ。黙って座っていればいい。
    それで俺たちは満足だ。

    鬱陶しい。
    そいつらの満足のために私がどれほどの我慢をしてきたと思っているんだ。
    面白くもない飲み会に毎月出向き、頃合いを見計らって帰ろうとすると、調子よく、「え?まだいいだろ。もう少し付き合えよ」
    そう言って引き止めていたのも、途中で帰すよりは最後まで残しておいて、お会計の時に多く支払わせようとしていただけだ。

    こいつよりはマシ。

    口を閉ざした私を見ながら自分らはつまらん話で盛り上がり、楽しんでいますという主張もしていたのだろう。

    4年はその居酒屋へは行っていなかった。

    それが去年、店主から連絡があって数か月に一度行くようになった。

    また通いだして4回目が昨日だったのだが・・・。

    その居酒屋はオープンしてもう20年近くになる。

    個人経営の居酒屋で20年営業するというのは立派なことだと思う。

    店主と従業員の二人のみでやってきた。ずーっと同じ二人で。

    それも立派だとは思う。

    安泰の店ともなっているわけである。

    が、昨年から昨日までに4回。そのうち2回は続けて、私の知人との同伴で来ていた。3回目と昨日の4回目は私が一人だけで訪れていた。

    前回から不信に感じていた。

    誰かと一緒に来た時と、ひとりで来た時の店の人間の態度が違う。

    接している時はにこやかだが、それが終わると同時に嫌な顔をする。

    面倒くさそうな、嫌そうな汚い顔をする。

    特にホール担当の女性従業員。

    平日の月曜日の夜は翌日の店休日でもあり暇だと言っていた。

    そうだから、私は一人で行く場合は月曜の夜を選んでいた。

    他に客はいない。いたとしても二組。

    そして午後11時にはほぼすべての客が店を出る。

    暇だから余計にそこに入ってくる客が鬱陶しいのだろうか。

    それとも私だからなのか。

    私へはそういう汚い顔を見せても平気だと?
    つまり、私からは嫌われようとも何とも思わない。
    嫌だから嫌な顔をしたまで。というのか。

    私ひとりが来なくなっても他に固定客はついているからどうでもいいと?

    午後11時になったら帰るとしよう・・・そう思っていたところへ、店へ電話が入り、誰か、店主の知り合いが一人で来るらしい。

    となると、私の座っているカウンター席にその方もつくのだろう。

    面倒くさい。

    直観的にそう感じた。

    「じゃあそろそろ帰るよ」

    私はそう言って会計を済ませ、店を出た。

    ああ、もう本当にこの店へ来ることはないな。


    様子伺いは数年に一度でいいらしい。

    つまり、年に何回も来るんじゃねぇよということなのだろう。

    いかないさ。

    私は、その店に通わない間も、その店に関して誰かにどんな様子か聞いたこともない。便利なネットでもリサーチしたこともない。


    相手都合にいつまでも合わせるか。


    一人の客も大事にできない従業員を抱えて店主も大変だ。


    安泰の店。

    女性従業員も20年近くも勤めているから、自分はこれから先も安泰だと?


    態度の悪さよ。そのうち他の客にもその顔を見られるだろう。


    20年勤めるのも経営するのも立派だが、


    逆説的に捉えるなら、そこしかないんだろ。


    強いフリするな。優しいフリするな。


    所詮は自分の満足だろう。


    他者と比較してみると私へ好意的に見える人間でも、


    必ず、その上っ面が剥がれる瞬間がある。


    好意的な態度を好意としてではなく、否定的な疑惑の目で見ると、




    その笑顔も偽りだと解る。


    おひとりさま3千円のお会計収入はなくてもいいとさ。

    更新日:2017年2月22日コメントする(0)