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こうさか ゆうあさんが最近登録した自分史(経年順)

  • ある日突然仕事に行けなくなりました①(2010年9月|46歳)

    2011年の9月。


    27年バリバリ続けていた保育士を辞めました。

    それも、突然の園からの「逃亡」という形で叫び


    大阪の私立の保育園でずっと保育士をしていたんです。

    小さい子ども、かわいいんですよ。今も大好きです。


    若い頃の先輩のいじめにも耐えたアップ(笑)


    今なら言えるけど

    ひたすら怒られないようにけなげに努力する私の当時の手帳には



    「すみませんのあとにありがとうございましたってかならずいう」

    「○○って言ったらダメ」(なんでかわからないけど怒られたから)

    「10時51分に片付ける」(50分だと早いって言われたから)



    ↑とかよくわからないメモが書かれている・・・・

    よほど怖かったのだろうか?^^;


    当時の先輩が入ってくる門の音だけで怖かったですもん。(笑)



    でもね

    後輩はいじめることはなく

    結構優しい話のわかる上司だったはずなのよ♪






    ※こんなせんせいだったら安心して預けようってなるよねーきっと。

    あたしはちょっとそうじゃなかったよな、当時。




    順風とはいえないけど


    「この保育園に私がいなくなるわけがない」と

    妙な「辞めないであろう」という思いがありました、いつも。



    なのに!!



    行けなくなったのには

    いろんないろんなことがいっぱい重なってきたのですが

    その主な要因。




    その1

    なぜか?気付いたら私のお給料で生活することになっていた

    (ローンも光熱費も住居費も保険もぜ~んぶ私が払ってた)



    なんだか・・・・ジャージしか着てない生活を延々続けていたけど、その不自由さもあまり感じないほど忙しくなっていた・・・・




    その2

    太ってて身体が重かった

    (いや冗談ではなく、まじめに腰痛激化で這って仕事をしているときもありました・・・)




    その3

    こどもたちが学校に行かなくなった・・・・


    長男は二回目の高校一年生のまま、登校拒否に。

    喫煙→停学を繰り返した挙句でガックリ・・・・・


    そして次男は朝からひと悶着する私と長男を見ているうちに「僕も休みたい」というようになってた。


    ↓よって




    その4

    仕事の内容が少しずつおろそかに・・・・・汗

    仕事にいく時間が遅れ気味になったり(つまりは遅刻)出勤してからも学校からの連絡を受けることになったり(つまりは仕事が消化できないまま積み重なっていく状態)





    ああ・・・・・叫び汗

    プライバシーの影響をもろにうけて仕事まで破綻する典型的パターンが

    出来上がってきましたね?




    そんなことがどんどんどんどんどんどんどんどんどん積み重なり




    ついに


    直接的に私が
    保育士でなくなる大きなキーマンである担任するクラスの保護者のおひとりからの


    執拗な毎日のクレームを受けてしまうという流れ


    退職するための立派なお膳立てが

    出来上がってしまったのでした。

    更新日:2016年9月30日コメントする(0)

  • ある日突然仕事にいけなくなりました⑦(2010年9月|46歳)

    もう5年も前になった退職のことで

    今思うことを振り返ってみようと思ったのですがー。

    正直これからなにを振り返っても言ってもいいわけになっちゃうかもーーって思ってしまいました(苦笑)


    基本的に保育士とか、幼稚園の先生とか、学校の先生とかetc

    年度の途中でいなくなっちゃうって避けたいことではあると思うんです。

    (でももちろん体調とか、産休とか。致し方ないことはたくさんあります)


    自分がこのように退職することになるというのは思いもしなかったことではありましたけど、ただこれも結局は「自分で決めたこと」

    ・・・という観点では当時は全く考えることもなかったんです。


    この保護者の方の存在はいろんな意味で大きかったの。




    当時は

    「私を退職へ追いやったひどい人」になってくれたわけですけど。


    でも、本当はね。

    この方の存在があったからこそ、私は仕事を「辞めることができた」はずなんです。


    できないことを人に言えないで「できているフリ」をするのも限界で、

    自分で乗り越える力ももうまったくなかった。


    あのまま仕事を続けることは、やき切れちゃうこと。

    自分でそうならないように、私が自分で


    かわいそうな私を演じて仕事をやすむ(やめる)方法


    を、オーダーしてたんですよね、きっと。




    思えば、その保護者が普段直訴していたことは

    私の思考そのままでした。




    ・私は一生懸命この仕事をしている(もっと私を認めてほしい)。

    ・子どもを生んだのは二人の合意の上なのに旦那は子どもの面倒をみない(私の思いを理解してほしい)。

    ・親には子どもの面倒を見てもらっているけど、いろいろ言われるのがイヤだから極力迎えにこさせたくない。(自分の要求どおりに周りを変えたい)。




    怒りで相手をムリヤリ押さえ込もうとするところも

    周りに誰か自分より劣る人を作ってその人にすべてを押し付けてしまおうとするところも。

    (そういう人をつくっておかないと、自分ができていないことが目立つのがいやだったのでー)




    私が普段家や人間関係でしていることを、そのまんまその保護者のかたはみせてくれていたと今は思います。


    当時気付けていたら・・・・とも過ぎることはなくはないんですけど(苦笑)

    きっとそれは「たら」「れば」の世界のことでしょう。




    当時私はこの仕事をしていく上だけではなく、

    すべての上で未熟でした。

    (あー今も決して完璧ではありませんけどー)




    できないしって開き直っているわけでもないけど、できない自分への怒りはいつも溜め込んでいるし、

    それに

    「この仕事に誇りをもっている」というのともちょっと違ったのです。


    思い出せばこの年は、四月からずうっとなぜだかわたしだけがクレームを受けていたんです、部下はいっぱいいるのに。


    ホントにわたしばかり。(苦笑)


    例の保護者の方にも「若い先生ならそれでいいけど、キャリアあるのにその対応はなに?」

    と言われていました。




    言い訳はしません、今ならわかるんです。

    いろんな意味で、周囲に「自分より悪い人」(能力ない(ようにみえる)ひと)をおくことでその場その場をしのいできたわたしには

    能力的なものにも鍍金がはがれてきていたのを、見透かされていたんじゃあないかなってね。


    人をこきおろすようなことで培ってきたもの

    こんなときには、砂山が崩れるようにあとかたもなく消えるんですよね。




    それって間違いなく「ほんもの」じゃないです。




    今となって言えることかもしれないですけど

    本当におおきなミスをおかしてしまうことにまでならなくってよかったです。




    こどもたちを守れなかったことは事実・・・もう限界やったよね。






    ※ほんとは自分だったんだよね・・・・・。




    よんでくださってありがとうございました。






    職場のことは本当に感謝しています。

    私が保育士時代に子どもとしてきた楽しかったことって

    おうちでも今なかなかできない一対一で楽しむこと。




    この時間を確保できる保育を推奨してもらっているって

    しあわせなこと。




    個々が満たされないと、周囲に目はむかない。




    叩き込まれていながら(指導もしていながら)

    自分にそこが欠けていることには

    驚くほど鈍感だったんですよね・・・・。

    更新日:2016年10月4日コメントする(0)

  • ある日突然仕事に行けなくなりました②(2011年9月|47歳)




    保護者の方から

    執拗に毎日怒りの剛速球級のクレームを受けてしまう


    ・・・と書きましたが




    実は今でこそいえますがそれほど「たいしたこと」ではありません。

    むしろ長い保育士生活の中ではいろいろあるもんです。




    「挨拶してもあからさまに無視されたり」

    「一睡もできない状態になるまで帰れないくらい責められたり」

    「電話越しに、怒鳴られたり」

    「この子を苛めた子をあなたが制裁してくださいよ、棒で叩かないとわからないでしょ、そんな子」←あなたがしても私がしても罪ですから・・・・

    ・・・・・あ汗・・・・でもやっぱりわたしだけだろうか?こんなに満載なのはダウン




    きっとそだね汗




    私、決して適当に仕事をしていたわけではないのですけれどー




    でも、保護者には「しなくていい期待」をしたり

    「全てを自分の定規でしかみれない」ために




    うまくおつきあいできない当時の私でありました・・・・・・もともと。




    なので、この頃すでに

    「お母さんの気持ちをわかることができなくってごめんなさいね~あせる」

    なんていう言葉が(思ってもいないのに)ツラツラとで出る人になっていたんです。




    考えてみればね

    最初から自分がわかろうともしないのにわかるわけはございません。
    なので、

    そんな私がいつも保護者を敵にしてしまうのは当たり前の状況だったのだと思います。




    さておき

    その執拗な毎日のクレームの主との関係の悪化は




    「下痢をし続ける赤ちゃんを預け続ける」ことから発端を発していました。




    その赤ちゃんは

    「乳糖不耐症」だったのです。

    ミルクの成分をうまく吸収できず、下痢してしまうのですが

    乳糖の含まれていないミルクを使うことでかなり状態を緩和させることができる(というか、治るなずー)なんですー。




    アレルギー用のミルクを預かって飲ませるのは

    この保育園では当時

    「病院で、採血などの検査をして、またはその(ミルクを飲ませてほしいという指示を書いた)証明書を提出した場合のみ」というきまりがありました。




    ※ここではこのミルクを飲ませるかどうか・そのきまりはどうかということはおいておいてください・私今は、保育園の関係者ではないので・・・・




    ですが

    このお母さん(看護師さんでした~)は




    「私は看護師です。(知ってるっちゅーねん。。。といつも思ってた)

    わが子のことはなんでもわかるから、病院にいかなくてもミルクを預かれよ

    あずかってくれればいいんです。」

    の一点張り。




    わたし目線ではその方は

    「保育園で下痢を続けてお尻が痛くて泣いていてもかわいそうだとは思っていない」というふうに見えました。

    ものすごく理不尽な思いなんだけど、お母さんの意向には従うこと=保育園の規則を無視するとか考えることは全くなかったんです。




    上司は上司で、たぶんとても毎日長く長く「(許可証なしでミルクを変えること)言われていたのでしょう。




    ある日、上司が私に




    「(証明書なしで)預かってもいいんちゃうかなと思うねんけど、どう?」

    と言いました。




    私は激怒して大反対しました。




    だって、だってあせる




    どのお母さんも、お休みとったり、やりくりして

    病院にいって小さいのに採血して検査して、証明書とりにいってる。

    「わたしはわかるから」なんてゴリ押しで、そんな「特別扱いしていいのか?」

    とキレました。(当時私はとてもとてもキレる人だったのです)




    結果・・・・・どうなったか忘れるくらいすごい状態になって私は保育園をドロンしたんですけど




    すくなくとも

    この私の「このお母さんを追い詰めた(らしい)件」




    (彼女も休みが取れない立場での勤務や、両親に応援をもらっていることの気兼ねなどがあったらしいです)




    ・・・・を長く私は「誰か彼女に(私がダメだと言ったらダメだと言ったことを)チクった内部関係者がいる」と思っていましたが。←どこまでわたし被害妄想なん







    そうではなく、たぶんね


    今となれば




    私が

    「保育園のきまりに従わずごり押しすればなんとかなるっていう考えのあなたが大嫌い」





    「看護師だからって下痢して体重どんどん落ちてお尻が痛くて毎日ヒーヒー泣いてる子のことをなんでもわかるって意味わからんっ」




    いやもっと言いましょう




    「看護師かんごしってうっるさいねん、それがなんものもんじゃいむかっ」




    (今私の周りにいる看護師さんは本当に立派で優しい方ばかりなのですが、当時わたくしはおっそろしい偏見をもっていましたごめんなさい。




    だって出会うどの看護師さんもどの看護師さんもヘンテコで意地悪だったんですもん・・・・)







    ・・・・・という波動で接していることを感じさせてしまっていたのでしょうきっと。



    こんな心の中はきっと伝わってるよね・・・・





    その後その保護者の方から




    毎日毎日毎日毎日(ほ~んま毎日ですよ~)




    「うちの子にだけ挨拶しなかった」

    「無視した」

    「(挨拶したら)いまさらわざとらしい、よくそんなこといえますね」




    ・・・・・ま、まあ・・・・

    つらいといえばつらいんですけど




    「辞めること」ではないです、私視点として。




    なんですけど・・・・・

    当時のわたし、本当にいけてなかった。



    そんなある日

    わたくし




    26年以上働いた職場から

    なんにも言わずに




    消えちゃいます。

    更新日:2016年9月29日コメントする(0)

  • ある日突然仕事にいけなくなりました③(2011年9月|47歳)




    看護師母の執拗なクレームは毎日続いていました。


    右矢印朝から

    「うちの子にだけ挨拶しなかった」

    「無視した」

    「(挨拶したら)いまさらわざとらしい、よくそんなこといえますね」

    ・・・・

    のあと




    保育園の外に出て門の前から携帯で園長にクレームの電話。




    夕方謝る、責められる、怒鳴られる、上司と話す




    重いお背中でおうちにかえる。。。




    帰ると




    学校行ってない長男行方不明

    学校の先生から電話がかかる




    次男を母親のところに迎えにいく

    明日のこともそこそこに寝かせる、話もできず

    長男の帰りを待ったり、探したりする

    帰ったら話す(っていうか責めるのでけんかになる)

    イライラしてお酒のむ、寝る

    すぐ朝になる、お弁当つくる、仕事いこうとしたら今日も行かないっていう

    仕事もおくれがちになってしまう、着いたらまた右矢印にもどる








    毎日毎日

    延々延々

    延々延々

    延々延々

    延々延々


    繰り返し。。。。いつまで~?担任終わるまでってまだ秋だよ~?



    お月見



    辛さを紛らわせていたひとつに


    乳児クラスは「担当制」というシステムをとっていたことがあります。

    幼い子であればあるほど「できる限り」決まった大人が関わることで

    家庭に近い形で信頼関係を育もうというシステムです。


    なので、私も4人の子どもたちといつも一緒にすごしているという状態で

    やっと歩き始めたところで甘えてくれるこどもたちの存在は責任はあるものの大きくて

    そのかわいらしさに癒されていました。



    だいじょうぶ、きっとだいじょうぶ・・・・



    流れ星



    その日


    朝から私の担当の子が登園してきたところで

    その子とすごすために部屋をうつるところでした


    「さ、○○くん来たから帰るね~」



    と、そのとき



    同時にやってきてたんです

    看護師母が。



    それだけなんです、本当に


    その直後のクレームは



    「私が着たからこれみよがしに大声で部屋に帰っていった」



    ・・・ガクリ(黒背景用)えー



    上司に「わかりました。お迎えのときに謝ります」って言いました。


    ほんっと、たいしたことじゃないよ、


    ただもうわたしのことがいやなだけだし


    みんながわたしのこと嫌いなわけじゃないし


    この人だけが言ってるだけやし



    だから今日も謝っちゃおう(何が悪いのかよくわからなくなったけど)





    ね♪


    担当の子達と遊びました


    おしめかえて


    ご飯食べました


    抱っこしてトントンして


    寝かせました


    お帳面や日誌をいつものように書きました。









    声がでかかったらごめんなさい

    わざとじゃないけどごめんなさい

    嫌な気持ちにさせたんだったらごめんなさい

    ・・・・・


    いつものことばがゴロゴロゴロと頭を過ぎる時間。


    今日はどんな言葉浴びるんやろ

    何時間言われるのかなあ。。。

    あ、そのあと職員会議だったよね

    で、終わったら上司と話だよね


    日付変わるよね・・・・



    「あ、今日次男の参観日やった。。。。」



    いつも参観なんて行けないときのほうが多いんです。

    でも子どもたちが寝ている時間

    いつもなら「一瞬見て帰ってきてもいい?」って言えてたかも・・・・


    今こんな状況なのにそんなこといえないね・・・・・・


    ・・・・



    お帳面の最終チェックを終えた私は立ち上がったのですけど





    「ちょっと」


    もはや私にかける言葉もなくなっている同僚が慌てて顔をあげました。



    「忘れ物とってくるわ~」


    なんの嘘だ!!!!!!


    どこまでとりにいくのか

    なんでとりにいくのか


    聞かれないうちに


    その日着ていた上着ももたず

    でもなぜか

    車のキーとお財布だけ持って私は玄関まで降りてみたんですねー。



    誰もいないエントランス。



    あー( 'ェ')



    このまま帰っちゃおうよ、もういいじゃん。



    うん



    そだよね




    ・・・・



    私はそのまま車を発進させちゃいました車





    更新日:2016年9月29日コメントする(0)

  • ある日突然仕事にいけなくなりました④(2011年9月|47歳)

    このまま帰っちゃおうよ、もういいじゃん♪



    車に乗り込んでキーを刺しこんだら



    ガタガタガタって車が言いました。

    手が震えすぎておかしい・・・・・・


    そんなことはどうでもよくて


    ここから出ちゃおう、もういいじゃん・・・・・

    そんな心の声がいっぱいになって




    夢中で車を出しておりました。








    あまりの下手さに前日反対された逃走図。






    なんとそしてね



    帰宅した私は

    な~んにもない感じで


    そのまま次男の参観に出席しました~。


    (たぶん)笑顔で

    (たぶん)いつもとおなじわたしで


    なんの参観だったかも覚えていないけど

    いつもとおなじように普段なかなか会えないママ友と話して帰宅しましたが


    ママ友の

    「今日は(仕事に)もどらなくていいん~?よかったね」



    ・・・・あ、そやった( 'ェ')



    玄関まで戻ってきたけど

    そのまま靴もなかなか脱げず、板の間でばったり倒れてしまったわたし。



    もう3時をすぎていました。

    保育園のこどもたちが起きておやつを食べる時間が過ぎています。


    戻らなくっちゃ・・・・・


    ううん

    もう二度ともどらなくていいよ・・・



    4時をすぎました。

    きっとあのお母さんが子どものお迎えにやってきてます。

    謝らなきゃ・・・・



    もう何度も何日も謝ったよ。

    これ以上なんで謝らなきゃいけないの・・・・・



    5時をすぎました。

    職員会議はじまってる・・・・



    もういいじゃんそんなのどうだって・・・



    6時

    携帯の着信が響きました。

    きっと保育園からだ。



    ・・・・

    着信を見る気持ちにもなれませんでした。




    気付いたら夜の9時をまわってました。


    わたしはまだ玄関におりました、転がったままです。

    (靴は脱げてたけど。)



    どうしよう。

    あたきっとしとんでもないことをしてる・・・・


    でも、もう行けない。



    身体が動かなかったわたしは

    旦那が帰ってきてこの姿をみられるのがいやで

    ずりずりずり・・・・とひきづるように自分の部屋まで移動していきました。



    (この頃の私は90キロありましうた。

    なのでその姿はまるでワニワニみたいだったと思います。

    わにわにのおふろ (幼児絵本シリーズ)/小風 さち
    この子、ズリズリ、ズズズ・・・・って移動します。

    もう、骨盤が縦にならないです・・・・


    トイレまでもズリズリズリ・・・・でいってたけど


    (でもそんな私を息子たちは

    なにもないようにまたいで歩いていたのでした。)



    とにかくそんなふうに

    大人になってはじめての『保育士でないわたし』になる日々が

    こうしてスタートしたわけです。

    更新日:2016年9月29日コメントする(0)

  • ある日突然仕事にいけなくなりました⑤(2011年9月|47歳)

    仕事にいかないまま


    部屋の隅に転がっていたわたしですが

    「あれ?これおかしくない?」と家族に思われたのは

    数日後だったという・・・・・・汗←恐ろしい実話



    すでに当時

    いかに私はもちろんお互いが「思いやりのない生活をしていたか」よくわかるというものです。


    携帯の電源を切り(っていうか充電しないので勝手にきれたと思われる)

    当時長男が法外に通話料金をかけていたので

    主人が電話ごと没収してしまったので「家電話のない当時の我が家」は


    数日後に私の職場から安否確認がきた

    主人の携帯と実家からようやく真相をしるという・・・・


    その間、わたしほぼ起き上がらず

    ずっと同じ服を着て居間に転がっていたんだけど・・・・・ブタあせる


    ともかく、ようやく

    私の職場での最近の情報を知った主人と実家の父母(近所に住んでいます)ですが


    どうやらヒソヒソ声で感じるのは

    「厄介なことになった・・・・」という雰囲気。

    (転がった背中からでも感じるから)



    ああ・・・どうせ、なにしててもまわりにやさしくなんてされないんですわたしは。

    ここにもほんとうはいたくないねん・・・・・汗

    (当時は本当に「どうせわたしは・・・・」を頻繁に使っておりました。

    たぶん口癖やったと思うー。)


    とか思ってたと思います(たぶん)




    そしてどんどん自分で悲劇のヒロインおばちゃんになっていったのでした。


    そのときすでに

    「ずっと横向きのままで転がっているので

    腕に畳のあとがついているままころがっている状態のわたし」


    (見てないから知らないけど、きっとほっぺたにもついていたよね?www)


    に母がいいました。



    「Nさんとこに行きなさい、ついてくから」


    Nさん→当時長男が学校にいけなくて通院していた心療内科であります。



    え~ドクロ



    めんどくさい・・・


    行きたくないし・・・


    身体もうごかない・・・・



    そんな私を母はなんと

    蹴り転がしました(笑)





    「ついてったるっていうてるやろむかっ」




    ・・・・ヒー叫びあせるあせる



    母は昔から怖いです。

    キレます。

    思い通りにならないとなんでもします。


    大人になってからも

    髪の毛をひきづられてカフェから家に連行されたこともあります。

    竹のものさしなんて何度も折れるくらい叩かれたし、

    布団たたきでも叩かれたし、思春期に前髪をジョキジョキに切られたこともあります。




    この人を怒らせたらこわい(その頃でも・・・)




    46歳の娘と75歳の母


    まるで幼少期のころと同じようにムリムリ



    自転車にまたがり、ちょっとでも降りたくなると

    後ろから自転車で「はやく!ドンッ」と突かれ(70過ぎても母は自転車を達者にのります)





    私はめちゃめちゃイヤイヤ心療内科に行きました

    更新日:2016年9月29日コメントする(0)

  • ある日突然仕事にいけなくなりました⑥(2011年9月|47歳)

    母に無理やり連行された心療内科で

    ようやくわたしはさめざめ泣き始めました



    涙が出たらちょ~~~っと

    ラクになりました。


    (そう、当時なんだかもう泣き方もよくわからなくなっていたのです)


    でも、今思うとね。

    本当はもうお仕事行かないでいい理由を

    やっとやっと探し当てただけだったのかもしれないです。

    (当時ご迷惑おかけしたみなさまには本当にもうしわけないんですけど)


    でもね。

    当時は確かに疲れていた。ヘトヘト。

    もちろん自分でも何時だが止まらない理由がわからない。

    なんだこりゃ~~~~なんで泣いてみたら止まらないんだ~あせるなのでした。



    でもね当時は

    こんなことも、病気のせいにしてました。


    なんで呼吸が苦しいんだ~~~~(ほんとは太ってるからです)


    身体が重い!(ほんとは太ってるからです)


    そういやずっと寝た気がしない(ほんとは太ってるからです)



    あー( 'ェ')汗




    ともあれ



    そんな私は(めでたく)



    「鬱症状」「出勤停止」という病名と診断をいただきました。


    家族からは「仕事に行け」と

    言われない「はず」の病名です。(でも、言われたけどね)





    そして

    行かなくてよくなった反面



    私自身はちょっと「やっちまった」感がありありにもなっていました。。。。


    なぜなら

    我が家には

    私が稼がなければ

    「お金がなかった」んです。



    叫び



    当時私は


    月手取り30万ほどの月収がありました。

    主人は某チェーン店の店長で40万はあったはず。

    ナンデヤネン!(。-ω-)_θ☆(ノ・⊿・)ノなんでないねんってはなしですが


    なぜかわたしはまちがいなく「貧乏」だったんです。



    主人とは

    住宅のローンは折半でしたが

    あと

    光熱費

    食費

    学資保険

    雑費

    医療費

    月謝・・・・etc


    私が払っていました。


    なんかおかしくない?

    いーやめっちゃおかしいです( 'ェ')



    最初は主人とも

    ちゃんとバランスとって

    支払いののこった分を彼は「お小遣い」として

    生活していました。

    もちろん私もです。


    「足りないからこれ払って」と言われたものを

    「うん」といただいているうちに

    なぜかこのように(おかしいやろって気付けわたし)



    いや

    おかしいとは思ってたんですけど

    主人は自分の保険や車のローンを払っていたし

    私が「足りないよー」ときには

    結構かためて渡してくれてたーし(めったに言わないけど)



    なんというか


    決算もしなけりゃ

    お互いのことも話さない

    毎日なんとかやってりゃいい

    足りなくなってる分はボーナスのときに埋めちゃってました。


    いえるコトは


    いそがしすぎることにかこつけて

    主人とそういうことも全てのことも含めて話すことが





    (太ってて)めんどくさかったから


    です。


    (全ての太ってる人がめんどくさがりというわけではありません。念のため)



    そんなわたしは



    太ってるからユニクロのXLサイズの中から

    はいるものを探すー。


    それを二種類毎日交互に着るー。


    破れるまで着るけど、だいたいお尻が破ける(太って)



    そーんな毎日でした。









    この頃、家の中をこうして移動していた・・・・・ひどいー



    今思えばどう考えても驚く情けない状況_| ̄|○ il||li



    そんな毎日の悲惨さは仕事にいかなくなってさらにさらに加速していきます。

    更新日:2016年9月29日コメントする(0)