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陽愛里ひかりさんが最近登録した自分史(経年順)

  • 習いごとの記憶(1976年4月1日|3歳)

    私の記憶ではいろいろな習いごとをしていた記憶がある。まずは公文式!3歳から小学校卒業するまでやっていた。私の時代は算数しかなくすぐ得意となり幼稚園の頃から100点100枚賞の賞状を何枚も残ってある。小学生の時にすでに高校の問題を解いていた。他には水泳教室、運動教室、ピアノ教室など!おかげで、算数、数字の成績は良くスポーツは万能となった!ピアノはあまり得意にはならなかった。

    更新日:2013年1月26日コメントする(0)

  • 親の愛情(1977年2月17日|4歳)

    私は親の愛情を知らない!私にはいとことおもわれるしかも同級生のいとこの女の子がいた。名前はのちに大好きになる芸能人、南野陽子さんと同じ名前、陽子という。生まれたのが3ヶ月しか変わらないこともありいつも一緒だった!幼稚園、小学校、中学校もずっと同じだった!妹(片親か両親違い)が生まれ(2月17日)心臓が弱かった為か私は親戚に預けられた。妹は両親の愛情を一身に受け育った!私は親の愛情を知らない!

    更新日:2013年1月26日コメントする(0)

  • 小学校時代(1979年4月10日|6歳)

    小学校に入学。中学校の出来事が多すぎたせいか、小学校時代の記憶はあまり残っていない。
    私の小学校は本当なら違う小学校だったが同じ年のいとこの女の子、陽子はん(同じ年でも3ヶ月上なので呼びすてには呼べずそう呼んでいた)と同じ小学校に行く為本籍は同じだから住所を本籍にして同じ小学校だった。その為かなり自宅から遠かったが元気良く徒歩通学していた。
    公文式のおかげで算数はずば抜けて得意で、体育教室のおかげでスポーツは万能!(特に野球が大好きで幼少から従兄弟とよくやっていてピッチャーで4番!になりたい!と思っていたが女の子だった為、小学校では器械体操クラブで鉄棒、マット、跳び箱で活躍していた!)歌うことが大好きな女の子で卒業文集の将来の夢は芸能人‼だった!
    妹が覚えていたのは運動会でその頃には珍しく器械体操クラブで活躍する姿をビデオ撮影を小学校側が映していて、格好良かったらしい!カモシカの足‼なんて言われてたり!6年生の時に描いた登山の絵画が大きな賞を取り、私が卒業した後もずっと職員室の近くの玄関に飾ってくれていたらしい!
    ほとんど、卒業式の記憶さえないまま明るい女の子で小学校を卒業した。

    更新日:2013年1月26日コメントする(0)

  • 中学校時代 遅い初恋(1985年4月10日|12歳)

    また住所のままなら違う学校だったがやはりいとこの陽子はんと同じ中学校に入学した。県で二番目に悪いと評判の二つの小学校が合併する一学年12クラス500人ものマンモス校だった。入学式で一番驚いたのが私の時代には珍しい茶髪の女の子が同じクラスに一人だけいて、母親に[あの子とは付き合わないように]と言われた事を覚えている。私のクラスは11組で男と女の子の番長がたまたま同じクラスになっていた。私は染まるはずのなかった普通の真面目な女の子だった!はずだった。
    私の初恋は遅くその中学一年の担任の先生だった!「青春」と言う言葉が大好きで顔はカッコいい方じゃないけれどとても生徒に熱くなる当時27歳の熱血先生ですぐ私は恋に落ちた!でもまだまだ中学生!淡い憧れだった!釣りに連れて行ってくれたり、奥さんもいて、しかも奥さんのお腹には赤ちゃんがいて家にも招いてくれたりしていた!先生が顧問をしていたと言うことで、それまで興味がなかったけれどのちに大好きとなった剣道部に入部した!熱い先生だった為とても厳しい練習だった!私の中学生の時代は先生の体罰は教育の一貫だった為本当に厳しい練習の日々だった!そして先輩からも同じ年でもイジメも当たり前だった!

    更新日:2013年1月29日コメントする(0)

  • 大好きになった剣道部!(1985年5月10日|12歳)

    ここでは初恋の先生の顧問と言う理由で大好きになった剣道部の話をする。
    一年生の剣道部員は11人で始まった!3年生の先輩はいなくて2年生の先輩は2人だけだった。とても厳しい練習の日々で剣道は体力だけではダメで気力や精神力も必要だった為本当に大変!竹刀を持てるまではひたすら足さばきのみ!道着や道具なんてまだまだ先のこと!とにかく毎日体育館で裸足で足さばきの猛特訓だった!それを先生の許可をもらえるまで頑張るのみ!そして頑張った子から次はやっと竹刀を持たせてくれ、それからは今度はひたすら素振りの練習となり毎日竹刀との格闘となる!剣道はちゃんと出来るようになるまでとても根性が必要な武道である。礼儀作法も必要だ。素振りにもいろんな種類があり全部きちんと出来るようになるとやっと道着や道具の許可が下りる!その頃にはかなり部員は減っている!それだけ剣道は体力、気力、精神力、そして根性が必要である。そして残った部員で話し合い、中学生は道具は部室にある物を使う。ピンからキリまであるが剣道具はとても高価な為、親の負担にならないように代々の先輩の物を使う。私だけ赤胴を選んだ!(赤胴鈴之助の時代ではないが)道着は中学生は上下共白が多い!特に小学生!私達は相談してやはり女の子は生理があり中学生で始まるのが多いから道着は白で袴は黒に決めた。そして毎日毎日一生懸命頑張っていた!私はやってゆくうちに先生はとても厳しくて竹刀で叩かれながらも剣道がめちゃくちゃ大好きになった!

    更新日:2013年1月29日コメントする(0)

  • 崩れ始めた人生!(1985年9月15日|12歳)

    私の人生が崩れ始めたのは中学一年の二学期が始まった頃だった!それはその頃流行っていた霊と遊ぶ良くない遊びの「こっくりさん」と言う遊びがきっかけとなる。中学生の私達には10円玉が動き霊がいろんなことを教えてくれる(本当に霊が動かしているのか二人で抑えてた指のどっちかが動かしてたのかは今も謎だがマジで霊が帰ってくれず、ひたすら欲しいと言ってきた物の絵を書きまくらされた記憶もある!)その遊びが楽しくてたまらなかった!初恋の大好きな担任の先生はその遊びが大嫌いでよく怒られながらも面白くて毎日やっていた!そしてよくその先生の家に遊びに行かさせてもらっていて奥さんとも仲良くさせてもらってたある日、ちょうど親友のその子も陽子と言う名前で二人で先生の家に行かさせてもらってた日に奥さんの前でその「こっくりさん」をやっていた。それで奥さんのお腹の中に赤ちゃんがいるのを知っていたから(しかしまだ12歳の私達には十月十日で生まれてくることなども知らないしまず子宮からじゃなくお腹から生まれると思っていたくらいだし)霊に「いつ生まれて来ますか?」や「なんて言う名前ですか?」などと聞いたりしてただ遊んでて悪気なんて全くなかった!そして先生の家から帰っていつも通り私の中学校では毎日日記を書いて担任が返事を赤ペンで書く事が決まっていて、日記帳も決まっていて、私は担任の先生が大好きだったから書く事が多い為、自分で紙を足して長く書いていて、先生からの返事も沢山書いて欲しいから先生の返事のスペースも沢山作っていた。そしてその日も先生の家に行かさせてもらって悪気なく「こっくりさん」の話も日記に書いて次の日先生に渡していて、私は毎日日記の返事をめちゃくちゃ楽しみにしていたから日記係りになっていた為に昼頃全員の日記帳を職員室に取りに行って教室に戻り、みんなに配り終えていつも通り返事をウキウキしながら見た!その返事が私の人生が崩れ始めたきっかけとなる。その返事とは「こっくりさん」が大嫌いな先生だったゆえのキツイ言葉が並びたてられていた![そんなことをやりに来るなら二度と家に来るな!子供がいつ生まれるとか子供の名前や勝手に決めるな!そんなことして楽しいのか?最低や!お前なんか知るか‼]などと書かれていた!それを読んだ私は泣きまくっていた!すると友達が心配して来てくれて日記の返事を見せて、あまりものショックを受けた私はなぜか[悪ワルになってやる]と言い、そして覚悟して、普通の子供だった私は転落してゆくのである。

    更新日:2013年2月2日コメントする(0)

  • 問題児へと(1985年9月16日|12歳)

    日記事件で[悪ワルになってやる]と覚悟した私は本当に次の日から違う人間のようになっていた!友達も変え、真面目に授業を受けてきたのに、あまりものショックで授業中ちゃんと授業を受けてない子達と一緒になって、授業中なのに、ボールは飛び交うしキャーキャー騒いでるしその仲間、問題児へとなっていった!入学式の時に当時珍しかった茶髪の番長とも仲良くなっていった!でも番長仲間のように不良!まではいかず問題児だった。不良までいくと先生達も恐れてほおっているが私達問題児は先生達に目をつけられ体罰の対象だった!今でこそ体罰は問題になっているがその頃は当たり前だった!熱い担任だった為(熱い青春の剣道の森田健作のドラマにかなり影響を受けてたみたいでそのドラマの主題歌の「もさらば涙と言おう」も教えてもらった)口で言ってもダメなら平手打ちや、まわり蹴りなどすごかった!教育の一貫でもあったし、担任の先生が大好きな私がその先生との事で問題児になってしまった事がショックで真面目に戻って欲しい気持ちもあり、周りのみんなは「愛のムチや!」って言う程で私への体罰が一番多かった!
    一学期の通信簿はうちの学校は10段階で9がかなり多く最低でも7だったのに三学期なんて3や4になっていた!三学期の先生との日記の返事の中で今でも心に凄く残っている先生からの言葉がある!それは「真面目だった人間をこんなにまで問題児にさせてしまい、教師という職業を辞めようと思っていた。しかしあなたを戻らせなければいけない…」などと書かれてあり、まさか先生がそんな風に思ってくれてたとも知らずに問題児から抜けずにいた。でもうちのクラスが12クラスの中で一番悪いクラスだった為、それが担任の先生のせいとなりうちの学校から飛ばされる!という噂が出た為、みんなで校長先生の所へ行き、「担任が悪いんじゃない!うちらが悪いんだから、先生は良い先生だから飛ばさないで下さい!」とみんなで頭を下げた!すると次の年も先生はうちの学校にいたのだが、ショックで私はもっとひどい問題児になっていくのである!

    更新日:2013年2月3日コメントする(0)

  • 二年生になって(1986年4月11日|13歳)

    2年生も担任は大好きな1年生の時と同じ先生になって欲しい!と強く思いながらも確率は約12分の1であって難しい事はわかっていた。そしてやはり願いは叶わず、名前さえ覚えていないオバサンが担任となった。私はその事実を受け止める事も出来ずクラスメイトもガラっと変わってしまい、クラスに馴染めなく私は8組だったが仲の良い友達が6組に沢山いた為、私は授業中でさえ自分のクラスにいず6組に入り浸っていた!すると担任のオバサン先生が考えて、給食の時に私がいないとみんなが給食を食べれない!と決めた為、給食の時間になると仲良くもない同じクラスの女の子達が「~ちゃん、帰ろう」と迎えに来るようになってしぶしぶ帰っていた。
    そんな中修学旅行があった!私達の学校は今みたいに外国!なんてあり得なくて行き先は九州だった。皆さんも記憶にあるでしょうが、私達は原爆ドームに持って行く為に必死に千羽鶴を沢山作って持って行き、帰って来て凄くショックだった事件が!実はちょうど私達が作って持って行った千羽鶴が燃やされたのです!修学旅行の思い出は、先生が一番厳しくなる夜中によく男子に会いに行く子も多かったが私はひたすらはしゃいでて「~ちゃんって面白い!」って同じクラスの子達とも馴染む事が出来た!問題児だったからよく先生に怒られ体罰もすごかった!先生が親に連絡すると子供の言い分なんて聞かず、先生の言い分ばかり信じて、剣道部だから家にも竹刀があり、よく親にもしばかれる日々だった!同じ年のいとこの親はお互いの言い分を聞き、先生の方が悪かったら先生にぶつかっていく親だったから、それがめちゃくちゃうらやましかった!
    まあ二年生は大好きで追っかけとなるきっかけとなったスケバン刑事が流行っていて、よくヨーヨーで遊んでた!南野陽子さんの歌をよく歌っていた!

    更新日:2013年2月4日コメントする(0)

  • 酷すぎた体罰!(1986年10月20日|13歳)

    私の中学生時代は体罰は当たり前だったが酷すぎた体罰を中学2年生の時に受けた!仲の良い友達が沢山いた6組のクラスでの掃除中のことだった。6組の担任の先生は気の強い女の先生でよく私も体罰は受けていたがあれ程酷すぎた、命の危険すらあった体罰は初めてだった!言い合いが酷くなりその先生に突き飛ばされて私は足から、机の上に椅子を乗せていた所へ滑り込んでいき、そしてその机の上の椅子がなんと顔面に落ちてきて椅子の脚が眉間の間の鼻の上に刺さるように落下したのである!位置が少しでもズレていたら死んでいた!幸い命は大丈夫だったが次の日、信じられない程顔面が腫れ上がり、おイワさんのようなまま、親も心配することもなく登校した。みんな大騒ぎして!結局病院へ行くのが遅くなった為に手遅れとなり手術することを余儀無くされた!大好きな芸能人のSPEEDの島袋寛子さんも経験している鼻の骨折だった!島袋寛子さんは手遅れじゃなかったけれど最初に行う鼻の中に鉄の棒を入れ金づちみたいな物で治る場合があり寛子さんはしなかった為、鼻が少しゆがんでしまったみたいですが私の場合はそれも手遅れで、入院して手術、しかも唇から顔面を切り開いての凄い手術となり後遺症も残ってしまった!さすがにそこまでの体罰は許されず、その突き飛ばした先生は罰を受けた!けれどそれ以上に今の持病となってる病気になるもっとひどい問題が次の年に味わうことになるのである!

    更新日:2013年2月5日コメントする(0)

  • 悲しい別れ(1987年3月23日|14歳)

    中学2年を終わる頃、初恋の中学1年生の時の担任の先生で2年間厳しく剣道部の顧問として教わり、結局問題児のままだったが、先生が違う学校に行く事となり、卒業するまで、そしてその先生に卒業式で送って欲しかったし、大好きだったから本当にショックだった!でもどう願っても先生自身や私達が決める事じゃなかったからどうすることも出来なかった。
    そして別れの時、剣道部のお別れ会で先生が歌ってくれた海援隊の[贈る言葉]が今でも強く心に残っているし、[贈る言葉]を聞くたびに、大好きな初恋のその先生を思い出す!そしてお互い歳をとった今、ものすごくその先生に逢いたくなる!まるでドラマの「金八先生」のような、熱血教師だった!あの頃の先生からの体罰は愛のムチだったと思ってる!そして真面目だった私が問題児になった事は先生のせいにしたくないし、先生にも責任を感じないでいて欲しい!もう逢えなくなって26年‼再会出来、あれからのいろんな話をしたい‼と心から思っている!先生と出逢え、初めて恋(子供心でも)をして嬉しかった!本当に再会出来る日を待っている!K,O先生ありがとうございました‼

    更新日:2013年2月6日コメントする(0)

  • 中学3年生になって(まず[イジメ]について)(1987年4月11日|14歳)

    私は[イジメ]ということが大嫌いで許せないことである!中学3年生になって、1年生の時からずっと[イジメ]にあってきた女の子と同じクラスになった。私の親友でさえみんながイジメてたから一緒にイジメてた!と聞きビックリした!そのイジメは本当に酷くて、給食の時に机と椅子でその子をかためて給食のおかずやご飯の中にいろんなゴミを入れ、みんなで「食べろ、食べろ」などといろんなイジメを受けてきたことを知り、イジメが大嫌いで許せない私は、その子がイジメられないように私達問題児の仲間に入れて、一年間その子を守りきった!その子は、とても心を開いてくれたし、イジメからずっと守りきったことに凄く感謝してくれた!その子は高校を卒業して結婚し、子供も産んでる!ずっと会っていないけど、幸せに暮らしてくれてたらいいな!いつかそのYちゃんにも会いたいな!
    [イジメ]はあってはならない!けれど私の力で無くせる問題じゃないことが悔しい!

    更新日:2013年2月6日コメントする(0)

  • 中学3年生になって(人生崩壊の始まり)(1987年5月18日|14歳)

    中学3年生になった。まさか14歳にして人生崩壊が始まるなんて思ってもなかった!相変わらず問題児だったが、特に担任教師があまりにも変わっているというかおかしかった‼私のクラスには3人の問題児がいて、その3人だけ性でなく名字、しかも呼び捨てで呼ばれていた。S男子、E女子で悪友、そして私Mだった!授業中では悪友のMとカラオケ(今みたいにデジタル化してなかった為若い子は知らないだろう、カセットテープより大きなテープを差し込むタイプ)の歌本を見ながら演歌でも何でもその頃流行ってたりしてる歌(大好きな南野陽子姉ちゃんの歌は机の上に立ち、振り付けまで真似て‼)は歌いまくり、授業妨害していたり、勉強なんかしなくて、学校に行っているのに授業をサボりまくってて、中学校だから単位も関係ないから留年することもなかったし、テストだって受けたいテストだけ受けたり勝手にやってばかり!隣のクラスに大好きな親友(M,Y)がいて、同じクラスの悪友も私の親友が気にいってたから一緒に、そしてイジメが許せない私はそのイジメられてたYも仲間に入れていたから普段はだいたいその4人で過ごしていた。そんな毎日の中思いもしてなかった、そんな事件がなかったら人生は変わっていたくらい、病気になることもなく、こんな後悔だらけのめちゃくちゃな人生にならなかったくらいの事件が起こってしまうのである!

    更新日:2013年2月13日コメントする(0)

  • 人生崩壊の大事件!(1987年5月30日|14歳)

    中学3年生の5月の終わり頃、私の人生崩壊の大事件が起こってしまった!この事件が起こってなかったら私の人生はもっと違っていたはず!そしてなりたくもなかった病気にもならなかったはずだ!
    それはある日の6限目、担任(中学1年生からずっと3年間国語の担当だった。気性がとても荒く、体罰も酷く、女なのに口がめちゃくちゃ悪かった。当時の名前は***、現離婚していなければ***。ネット上に名前を載せるのは、と思うがあまりもの酷さを知らせたい為、あえて載せた。)の授業中に起こった!私の席は一番前で悪友のEは一番後ろでいつものようにEに呼ばれて一番後ろで遊んでいた。するといきなり担任が「M、お前の顔見たくないんや!お前が死んだらみんな喜ぶわ‼出て行け!」と怒鳴られた!2人で遊んでいたし「何で私だけ?」そして「私が死んだらみんな喜ぶって、何で?」と泣きながら教室を出て行き帰り道、ずっと[私が死んだらみんな喜ぶ]その言葉が頭の中で響きまくってて、今もその言葉の意味は理解出来ないが、当時14歳の幼い私にとっては余計に理解することも意味も分からず、辛い事があっても14歳の時やそれ以前に死のう!なんて考えた事もなかった!でも実際に教師に「お前が死んだらみんな喜ぶわ」と言われると訳が分からなくなって[私が死んだらみんな喜ぶ]そればかり頭が考えてしまうと[死ななきゃいけない]としか思えなくなってしまい、死のうとなんかしたことなんかなかったのに、初めて手首を切ってしまったのである‼これが人生崩壊の大事件であり本当に私の人生は崩壊していくのである‼

    更新日:2013年2月13日コメントする(0)

  • 大事件の後(1987年5月31日|14歳)

    担任に「お前が死んだらみんな喜ぶわ」と言われ、「死ななきゃいけない」と思い込んでしまった私は初めて死のうと手首を切ってしまった!でもものすごい血に驚き、怖くなり、今みたいに携帯もなかったので公衆電話で同じ年のいとこの陽子はんを呼んだ!(陽子はんは救急箱を持って飛んで来てくれた!)とりあえず応急処置をして、理解してくれない親に伝える事が出来ず、次の日、何もなかったかのように学校にいとこの自転車に乗せてもらって(当時の2人乗りはステップと言うのをタイヤの金具に付けてその上に立って乗る)学校に着いて、自転車から降りる時に左手をサドルで打ってしまい、血が飛び散ってしまい、職員室の保健の先生に処置をしてもらってるところに担任が来た!あやまってくれるのかと思っていたのに、またまさかの泣いてはいたけど平手打ちをされた‼そして何も知らない親を呼ばれて、親の前でも、職員室の黒板で頭をガンガン打ち付けたり、平手打ちをされまくられてて、親は「頭だけはやめてください」のみ‼そして親に病院に連れて行かれ外科医に縫われ、「こんな事二度としないように」と言われた!その後親も何も聞かないから私も何も言わずに次の日からも学校へ行っていた。全学年で1500人もいて、自殺図った子がいる‼と有名で噂が飛び駆っていても学校は好きだし行くしかなかった!担任とうまくいってなくても!そんな中次の事件が起きていくのである‼担任からの暴言で自殺を図った事が人生崩壊の始まりであり、病気になる原因であった‼その大事件がなかったらどんな人生だっただろう?過去は変えられないし、いくら後悔してもやり直す事は出来ない‼

    更新日:2013年2月13日コメントする(0)

  • 悪友の裏切り‼(1987年6月10日|14歳)

    悪友の存在、それもなければ、きっかけは担任の先生のあの「お前が死んだらみんな喜ぶわ」という暴言での自殺図った事でもそこまで人生は崩壊しなかったかもしれない‼でもやはり過去は消せない!変えられないのである‼
    大事件の後も普通に登校していた。すると悪友のE(ここでこの子のあまりもの酷さを知ってもらう為に実名を出そう!***、高校卒業後結婚して双子を産んでる事までしか知らない)には凄く好きな先生がいた。私の初恋の先生はもう違う学校に行ってしまってるが。Eはいつも好きな先生の話をしていた。そして凄く悩んでいて、とんでもない事を言い出すのである‼それが裏切りの始まりであることも知らずに!
    ある日、悪友のEが好きな先生のことで悩んでいた。そして何故か遺書を書いていた!ビックリしていると、自殺を図りいろんな噂がたっていた私に「M,一緒に死んでくれへん?」と言ってきた!「は?」って思ったが、そんなに悩んでるなら、私は噂もたってたし、本気なら仕方ないかな?と変な優しさがでた私。そして私達が誰も来ないたまり場に使っていた場所で2人でカッターを用意して「セーので切ろう‼」と言われ、いよいよ気合い入れて「セーの」で切った!はずなのに実は切ったのは私だけで、その上その悪友はいきなり走り出し大声で「何か知らんけどMが手切った!」と叫び出した!信じられなかった!私はまた先生に職員室に連れて行かれ、手を止血の為に持ち挙げられてた。そしてふと出入り口を見ると、悪友Eがこっちを見て笑ってた‼その時初めて裏切られたとわかり、名前は出さなかったが「裏切られた」と泣きまくってた‼それが第1の悪友の裏切りだったのである‼

    更新日:2013年5月17日コメントする(0)

  • 続く悪友の裏切り‼(1987年6月10日|14歳)

    悪友の裏切りは、それだけで終わらなかった‼
    二度目の自殺未遂で当時母親と思っていた、理解のない人だけではなく、理解のあった、良くしてもらってた叔母だと思っていた母親の妹も呼ばれて、担任の車に乗せられて、外科に連れて行かれてる時、大切な友人も着いて来てもらってて、友人に「着いたら逃げて」とお願いしていて、本当に着いたら一緒に逃げてもらった‼夏のセーラー服がすごい血に染まってしまって、途中知らないおじさんに「どうしたんだ‼」とつかまえられたが何とか逃げて、学校まで戻った!そして「もう家に帰れない」と泣きまくってた‼そして仲のいい友人達と体育館のある場所で悩んでいた。家に帰れないからどうするか?とずっといた。
    すると2時間くらい経ち、何故か悪友Eがすごい荷物を持って現れた‼それがまた裏切りだとは知らずに‼
    何かと思っていたら、「M、帰れないんやろ!一緒に家出せんか」と言ってきた‼「はあ?」と思いながらも帰るところないし、裏切られたばかりなのに、また「助けてくれようとしてる」と信じて、着いて行くことにした。

    更新日:2013年5月17日コメントする(0)

  • 誘われた家出なのに‼(1987年6月10日|14歳)

    悪友Eの誘われた家出だった‼もちろん初めての経験だった‼お互い子供だった為、そんな遠くまでは行かず、隣のK市まで汽車で行き、自殺の裏切りの話は出さなく、ウロウロしてた。するとEが公衆電話で誰かと話してた!もちろんその当時は携帯電話などなかった!そしてEから電話に出ろ!って言われ、また「はあ?」と思いながら電話に出ると、まさかの学校、しかもEが大好きな先生だった‼その上その先生に「Eを家出に連れて行ったってどういう事だ‼何を考えているんだ‼」とめちゃくちゃな事を言われ、またハメられてしまったのである‼私はブチ切れて電話を投げて走って逃げた‼Eが先生に居場所まで言われてるのも知らずに‼
    結局、Eが居場所を言ってしまったので、Eの大好きな先生と、学年主任の先生が車で迎えに来てしまい、逃げたものの、足の早い学年主任にはかなわず、捕まり無理やり車に乗せられて学校に連れて帰られた‼そして、とんでもない事が待っていたのである‼
    学校に着き、先にEの両親が待っていた。そして「うちの子を家出に連れていきやがって何考えてるんだ‼」と怒鳴られて、本当は誘われたのは私なのに、めちゃくちゃ腹が立っていたし、傷ついてて、どうしたらいいのかわからなかったし、同じ日に二度目の裏切りを受けてた私の心と頭の中がグチャグチャだった‼そして私の当時両親と思っていた二人も来て、警察に捜索願を出されていた為、学校には沢山の先生が残っていて、会議が始まった‼
    子が子なら親も親‼卑怯な事を言い出した‼「うちの子はこんな大人だらけの中じゃ何も言えないから担任の先生と二人にしてください」と、逃げ道を作って、私は沢山の大人だらけの中、たった子供一人になってしまった‼そして会議が始まり頭の中がグチャグチャな私は何を言えばいいか黙っていると父親と思っていた人に「黙っとかんと何とか言え‼」と怒鳴られ、私は本当の事をきちんと話そう!と話し始めた。ら、今度は「言い訳するな‼」と父親と思っていた人に言われて(泣)もうどうでも良く思えて、自分のせいのまま、警察に謝りに行った‼
    その頃からか何も誰も信じられなくなっていったのである‼
    担任の先生からの「お前が死んだら、みんな喜ぶわ‼」との暴言での初めての自殺未遂、そして悪友からの裏切りで私の人生は音を立てて崩れていった‼

    更新日:2013年5月20日コメントする(0)

  • とうとう人生崩壊ヘと(1987年6月23日|14歳)

    心が崩れ始めていってる事に気付かないまま、私はいろんな事があっても学校が大好きだったから、ちゃんと登校していた。悪友Eに裏切りを受けても、大事な友人Yと一緒だったし、仕返しとか考えてなかったし、裏切り返す気もなかった!なのに、ある日、悪友Eはお酒をかなり飲んで、しかも職員室で暴れていたのである‼そして、いろいろと愚痴ってたらしい‼ほとんどはかなわない大好きな先生の事だったらしいが、そんな中で、どうしても私を落とし入れたかったみたいで‼(結局は私と大事な友人Yとの仲をさきたかったから)、酔った勢いの中「M(私)が許してくれない」と言われてしまった‼本当に何かしたか言ってみろ!って言いたいが、本当の私じゃない私が独り歩きして!
    その為に私はとうとう校長に呼び出された‼1学年500人以上のマンモス校なのに、まさかの校長呼び出しに遭ってしまい、何もかもが誤解のままなのに、校長に「あなたのような人を許す事の出来ない人間は最低な人間だ」の言葉で、とうとう私は泣きまくって、待ってもらってた本当の友人に「もう終わった」と告げて崩れ落ち、登校拒否、そしてうつ状態ヘと人生崩壊の道に落ちていった‼やり直せない人生ヘと‼

    更新日:2013年5月20日コメントする(0)

  • 知らなかったうつ病の始まり‼(1987年7月1日|14歳)

    あんなに大好きだった学校に行けなくなった‼まさか自分が登校拒否児になるとは思ってもいなかった‼
    そして私の中学3年生の夏休みは地獄の日々となってしまった‼その上私の心は壊れて、何故かいつも死にたい気持ちに襲われ始めて、今じゃリストカット‼なんて同情のかいたい行為と言われるようになってるが、当時はそんな言葉もなく、本当に理由なく死にたい気持ちに襲われていた‼(のちにうつ病の症状のひとつの自殺念慮と知る)そしてとうとう毎日トイレの中で手首を切るようになり、左手首の腱も切断した‼飛び折りれるマンションを探していたり本当に地獄だった‼
    両親の理解もなく(本当の両親じゃないから、今思えば仕方ない事だが当時は辛かった)相談も出来ず、両親は、学校に行かない=施設に入れる‼であり、10月から施設に入る事になってしまった‼

    更新日:2013年5月20日コメントする(2)

  • 荒れまくる日々!(1987年10月1日|14歳)

    施設なんて嫌で、そこまでするのならと学校に通い始めた!しかし荒れまくる日々でめちゃくちゃな事ばかりしていた‼そのままでは高校進学出来ない程だった‼

    更新日:2013年7月17日コメントする(0)

  • 私を変えてくれた叔父の死(1988年1月5日|15歳)

    うつ病が発症しているとも知らずに、死にたい気持ちでいっぱいの中、そして荒れまくる日々の中、大好きだった叔父だった人が急死した‼あまりものショックと、死にたい私じゃなく、何で大好きな叔父が!私が死ねばよかった!とものすごく落ち込み泣きまくっていた中、きっと叔父は私を立ち直らせてくれようとしたのか、私は叔父を助けたかった!もう叔父を生き返すのは無理だから、叔父と同じように苦しんでいる人を助けたい!と天国に旅立った叔父に看護師になることを誓い、荒れ放題だった中学生活をきっぱりやめ、全く勉強してなかったのに、受験まで3ヶ月しかない中、猛勉強して、私の過去を封印してやり直したかったから、同じ中学から誰も受けない、しかも入るのが難しい全日制の四国に2校しかない普通の高校の衛生看護科に合格した!親と思っていた人とうまくいってなかったから、家も出たくて、寮にも入ることになった!
    やっと人生のやり直しができる!と私は叔父にめちゃくちゃ感謝しました!
    その後の人生もボロボロになるとは知らずに。。。
    でも、おっちゃん、ありがとう!

    更新日:2013年8月7日コメントする(0)

  • 人生のやり直し!(1988年4月10日|15歳)

    無事高校にも合格して、大嫌いだった中学も卒業して、家も出て寮にも入って、私の人生のやり直しが始まった!
    私の高校は四国に2校しかないため、四国中からいろんな人達が入学していた。レベルも高く、真面目な子が多かった!もちろん女子高!上下関係や寮もめちゃくちゃ厳しかった!でも私は叔父の為にも必ず看護師になるんだ!って張り切っていた!うつ病が発症してるとも知らずに!

    更新日:2013年8月7日コメントする(0)

  • また人生の崩壊の始まり(1988年10月7日|15歳)

    私は看護科の高校で、真面目に一生懸命に、ひたすら頑張っていた!もともと負けず嫌いで、頑張り屋の私は、何もかもに頑張っていた!
    しかしそんなに頑張ってた秋のある日、私は中学のときの手首の傷を友達にからかわれてしまった!そして、そのことで「人の命を預かる仕事の看護師が、死のうとした人間でいいのだろうか」と悩み始めてしまい、うつの症状の自殺念慮とは知らず、死にたい気持ちに襲われ、震えて授業も受けられなくなり、寮だから朝出されるものの、保健室登校となってしまった!
    そんな中、胸のうちを信頼してた国語の女の先生に手紙で訴えた。するとその講師の先生だけでは抱えきれないと、職員室中の先生に見せた結果、私は1年生だったから全く知らなかったが、2,3年生の精神科の授業に講師として来ていた、現T病院の院長先生に知らないうちに相談され、話を固めて、私には嘘をついて、嫌がる私を無理やり連れて行った先は精神病院だった!

    更新日:2013年8月7日コメントする(0)

  • 信じられない精神病院!(1988年11月3日|15歳)

    まさか自分が15歳で精神病院に連れて行かれるとは夢にも思ってなかった!
    でもそれは現実に起こってしまった!
    「着いた」と言われ、建物を見ると「精神科」とはっきり書いてあった!信じられず「嫌だ」と泣き崩れてる私を無理やり病院に連れられてしまった!中でも泣きまくっていたのに診察室で話されていると「こんなになるまでほおっておかれてかわいそうに。薬を飲むと良くなるから」と、とうとう「うつ病」と診断されてしまった!
    普通科の高校なら、通院しながら通えるが、私の通っていた看護科は、本人が健康じゃないと通えないので、私は治るまで休学となってしまった!家に帰りたくなく、同じうつ病だった、育ての親代わりの叔母が預かってくれることになり、泣く泣く叔母の家に帰った。
    連れて行かれた精神病院は叔母の家から遠かったため、叔母の通ってた病院の先生にも診てもらったが、同じ「うつ病」、うつ状態と診断された。

    更新日:2013年8月9日コメントする(0)

  • 叔母の家での日々(1988年11月10日|15歳)

    叔母の家での日々は、とんでもない日々であった!
    病院で毎日点滴をうっていたが、うつの症状はひどく、毎日のように、トイレに隠れて手首を切っていた。見つかるたび、叔母の息子の運転で近くの外科に運ばれ、女医に縫われていた。後から聞かされたが、その女医は「この子をほおって置くと、とんでもないことになりますよ」と言ってたらしい。
    私はそんなみんなに迷惑をかけてる日々が、自分でも耐えられなくなって、家にも帰れないし、結局、一番最初に連れて行かれた精神病院に、15歳にして入院することになった!

    更新日:2013年8月9日コメントする(0)

  • 初めての精神病院への入院!(1988年12月8日|15歳)

    15歳の冬、私は思ってもいなかった、精神病院へ入院することになってしまった!
    まだ子供だったし、初めての精神病院での入院は不安だらけだった!裸で走りまくる患者さんもいるし、新しく入った私を見ようと、いつもたくさんの患者さんにのぞかれていた!その頃のスタッフさんも怖く、院長先生との約束も全く守ってくれず、怒られまくっていて、いつもベッドで泣いていた。
    そんな中、行事として、幼稚園児を呼び、室内運動会があった!子供が大好きな私は嬉しかった!そして、私は入院生活に耐えられないから、その行事を口実として、思ってもない嘘、「もう一度やり直したいです。子供を見ていたら、保育師になりたくなった!頑張りますので退院させてください」と院長に言って、恐怖でしかなかった精神病院から退院した!その後何度もお世話になるとは思いもせず。

    更新日:2013年8月9日コメントする(0)

  • 退院したものの(1989年3月3日|16歳)

    退院し、もう家で過ごすしかなかった。
    うつ病の症状である「希死念慮」とは「理由なく死にたくなる」という、普通の人には考えられないものである!もともと中学3年の担任の教師に「お前が死んだらみんな喜ぶわ」という言葉に追い詰められ、死のうとしてしまった!その後の悪友からの裏切りで「うつ病」が発症したのは事実である。もし、そんな出来事がなかったら、と思うと、人生はやり直せない現実にやるせない思いになる。うつ病の発症が私の人生をめちゃくちゃにしてしまった!
    そんなうつ病に苦しんでいる中、学校をどうするかという問題が迫ってきた。私も勿論学校に戻って、留年でもやってみたかった!でも復学するには、病気が治ったという診断書が必要だった。しかし担当医からの診断書は「うつ状態のため、後6ヶ月以上の治療を要する」であった。けれど両親は、体裁ばかりを考え、なんとか学校へ行かせようとわざわざ他県へ行き、お金を出して、嘘の診断書を手に入れてきた!
    そして私は、初めて高校留年という経験をするのであった!

    更新日:2013年8月9日コメントする(0)

  • 初めての高校留年!(1989年4月10日|16歳)

    嘘の診断書のおかげで、寮にはもう入れなかったものの(自殺未遂を起こしたため)看護科の高校には通えることとなった。
    しかし初めての高校留年は、つらく、厳しいものであった!まさか自分が高校を留年するとは思ってもいなく、私の人生は思わぬことばかり起きるのであった!
    学校初日、入学式であったものの、留年している私は出席せず、待たされていた。そして終わってみんなが帰ってくると、早速私は留年していることを、みんなに知らされたのである!するとやっぱりみんなの態度も気持ちも変わる!みんなと違う自分が嫌でたまらなかった!それと今まで同級生だった子達が、全く違う教室に行ったりしてるのを目の当たりにしていると、情けない気持ちで一杯だった!でも現実を受け入れるしかなく、私はみんなと年が違ってても、仲良くなろうと必死に頑張っていた!しかしうつ状態の私には、やはりやり遂げる自信はなく、不安で一杯だった!

    更新日:2013年8月9日コメントする(0)

  • とうとう高校退学!(1989年7月23日|16歳)

    留年しても頑張って卒業して準看となり、高看へ行き正看になって、本当に叔父に誓ったように、看護師になりたかった!いや、なるつもりでその高校に入学したのだ!
    なのに、最初は年の違う友達も作って頑張っていたものの、うつ状態の私には厳しかった!崩れたきっかけは、いじめ問題!いじめが許せない私は、いじめられている子を助けてあげようとしたら私もいじめられることになり、うつがひどくなり、やはり保健室登校となり、1学期の終わりとともに、とうとう高校を自主退学してしまった!
    私の人生のやり直しは、やはり叶わなかったのである!

    更新日:2013年8月9日コメントする(0)